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Route 66Trivia

Illinois and Michigan Canal (I & M Canal)

Route 66

東海岸から Mexico 湾に至る初の完全な水路で、
Lake Michigan と the Mississippi River をつなぐ運河。
鉄道時代以前の合衆国の輸送手段として、Chicago の発展に役立ち、
中西部貿易の中心が、St. Louis から Chicago へと移る一因となった。

1800 年代初頭、運河のルートが計画、測量された際、
年間を通じて航行できる十分な水深を確保するため、
Chicago River から南西に Illinois River の La Salle 付近まで、
100 mile の運河建設の必要性が認識。
1824 年、運河調査が承認され、建設が 1836 年に始まったが、
1837 年の恐慌の影響で工事が遅れ、
総建設費 約 $ 617 万で、1848 年に完成した。

Chicago 川南支流の Bridgeport から始まり、
Illinois 川の La Salle まで 96 mile、幅 60 feet (18 m)、深さ 6 feet (1.8 m) の運河で、
Michigan Lake と Illinois River の 140 feet (43 m) の高低差を、15 の水門で対応。
ラバや馬が曳舟道を歩いて、船を曳き、
その距離に対応する間隔で町が計画されると、すぐに商業輸送が始まった。

Canal の開通で、自給自足の農業がベースだった Joliet は、
工業と住宅開発が活発化し、すぐに製粉所や工場が次々と建設され、
また豊富な石灰岩鉱床の発見で、新たな採石産業が繁栄。
そして東部市場とのつながりができて、農業の収益性が高められた。

運河は、人気の乗客ルートにもなり、
Chicago が America の交通の中心地として確立していったが、
運河と平行して走る the Chicago, Rock Island and Pacific Railroad が 1853 年に開通すると、
旅の手段は鉄道に移っていったが、
輸送は、好調で、1882 年には輸送量がピークに達した。

しかし湖は飲用水の源でもあったため、川は特に市の発展にとって重要となり、
the Chicago River の再建が急速になされ、運河が深く掘られた。

この運河は、ラバが曳く曳航索から蒸気船へと移行した最初の内陸運河だったが、
州が運河の維持管理への投資を停止。
以降、商業輸送は大幅に減少したため、
1900 年より幅が広く水深の深い the Chicago Sanitary and Ship Canal が建設され、
1933 年に the Illinois Waterway が完成すると、輸送作業は終わった。

1900 年以降、運河は次第にレクリエーション利用へと移行。
今、運河の部分的は埋められているが、公園となり、
曳航索の跡地は、ハイキング・サイクリングコースに、
遊歩道の主要地点には、解説プログラムやインフォメーションセンターが設置されている。
博物館や歴史的な運河建築物も点在している。

Jolietにある “Joliet Area Historical Museum” には、
建設時のレプリカが作られており、当時の建設状態が見れる。

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