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Route 66Trivia

Dust Bowl

Route 66

1930 年代にアメリカとカナダの草原の生態系と農業に甚大に被害を与えた激しい砂嵐のこと。
これは、自然要因(深刻な干ばつ)と乾燥地農業方法による表土の破壊で引き起こされた現象で、
干ばつは 1934 年、1936 年、1939 ~ 1940 年の 3 回発生したが、
一部の地域では 8 年間も干ばつ状態が続いた。

地域は長期の干ばつに見舞われやすく、
同程度の期間中に異常な多雨と交互に訪れることもあった。

多雨の年には肥沃な土壌が豊かな農産物をもたらすが、
乾燥した年には作物が不作となり、強風にも見舞われ、
農業、酪農、その他関連する仕事が壊滅状態となった。

これは平原の生態系を十分に理解していなかった農民たちが、
草原の未開墾の表土を広範囲に深く耕したことにより、
干ばつや強風の時期でも土壌と水分を保持する在来の深根性の草が排除され、
また急速な農業の機械化とコンバイン等の普及で、土壌が変化し、
Dust Bowl を引き起こす原因となった。

それは巨大な雲となり、時には空を黒く染め、「黒い吹雪」または「黒いローラー」と呼ばれ、
国中を移動し、東海岸にまで達することもあった。
特に有名なのは 1935 年 4 月 14 日、“Black Sunday”として知られる最悪の日。

当時 Dust Bowl は Texas と Oklahoma の土地 1 億エーカー(40 万平方 km)に影響を与え、
住宅ローンの支払いや作物生産ができなくなった何万もの貧困家庭が農場を放棄し、
仕事を求めて 1930 年から 1940 年の間に、約 350 万人が西へ移住。
その家族の多くは、Oklahoma 州出身者が多かったため、Okie と呼ばれた。
その際利用した道が Route 66 だった。

今では農業技術の進歩や農地の改良などで、ほとんど起こることもなくなったが、
2025 年、Texas で大型の Dust Bowl が起こったが、昔ほどの被害も出ずに済んだ。

作家の John Steinbeck は、
Dust Bowl で住む場所を失った移民労働者や農家の家族の小説 “怒りの葡萄(The Grapes of Wrath)”を、
1939 年に出版。
ベストセラーとなった。

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